2011年11月4日金曜日

ギリシャ パパンドレウ首相の本心を想像する。


ここへきて、ギリシャ パパンドレウ首相はEUの要求を受け入れるかどうか、国民投票を実施する決定をおこなった。



日経20111103-ギリシャ国民投票へ



EUのEFSFの資本増強の決定は、表面上はギリシャを助けるためだろう。(マスコミの報道はそうである。)

しかし、本音は、銀行の損金軽減なのだ。50%の債権放棄が、100%になるかどうかの違いだけだ。ギリシャとしては100%債権放棄してもらいたい。

もちろん、負債を作ったのは、ギリシャだが、そこから助けてもらうために、政策上のタガをはめられたくはない。

デフォルトの選択も(すでにデフォルトなのだが)十分にあるのだ。完全なるデフォルトになれば、借金もゼロだ。

デフォルトになれば、EU離脱である。どれだけの意味があるだろうか。
信用を失おうが、世界に冠たるギリシャ遺産を使えば、十分に外貨を稼げる。

インフレは壁のように立ちはだかるだろうが、一時だけのこと。
潤沢なユーロ、ドル、円が流れ込むだろう。アルゼンチンのように立ち直れるだろう。

国民は、デモを起こしているが、決定権を放棄し、国民に決めてもらうことで、自分の責任を放棄しよう。そうすれば、どう転んでも安泰である。(選択の結果をバランスにかけた結果どちらでも大差ないので、サイコロを振ることとした。)

以上は、あくまで、私の想像であり、本人に確認したわけではない。

ここへきて、「野党の協力が得られれば、国民投票を実施しない可能性もある。」と発言している。


  • 為政者の発言のブレは国民の信用を無くす。発言は、一つ一つ政治生命をかけて行うべきだ。
  • 常に自分が決定できるレンジ、を見据えて発言しなければならない。それができない人は、為政者失格である。
  • 国民投票にせよ、責任を人になすりつける人は信用できないだろう。自分の責任として、決定することも為政者の義務なのである。


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